2011年03月29日
震災に際して
震災以来バタバタして、更新がストップしておりました。
今更ではありますが、震災直後に書き掛けていた記事の体裁がソコソコ整ったのでUP致します。
今更ではありますが、震災直後に書き掛けていた記事の体裁がソコソコ整ったのでUP致します。
まずはじめに、今回の東北地方太平洋沖地震における被災者の方々にお見舞い申し上げるとともに、亡くなられた多くの方々に深く哀悼の意を捧げます。
私は、関東在住・・・
今回の地震は、他人事ではない。
かといって、震源に近かった方々、特に津波や原発の被害に遭った方々とは比べることがおかしいほど、軽度の被害しかない。
それでも生活には色々と支障をきたしている。
計画停電に物資不足、原発関連・・・
仕事で化学産業に携わっているので見えてくる様々なもの・・・
鹿島のコンビナートの壊滅的な打撃を代表とする原材料の不足・・・
原発近くでは、避難指示が出ていない地域でも、風評被害による物流の足止め、法人の従業員への配慮による自宅待機指示により、食品関係以外でも麻痺状態のところが少なくない。
直接関わっていないが、機械業界やその他の産業も同様であることが推測される。
これは日本経済全体への打撃を意味する。
既に一部報道されているように、今後は東日本に限らず日本国内全体、また海外へ及ぼす影響も小さくはない。
こうした中で考えられることは、出来得る限り通常通りの生活の維持だと、私は考える。
各々が自分の仕事・生活や生活上の役割を、今まで以上にシッカリと果たしていく・・・
色々なものが不足する中で、通常通りの生活をキープすることは並大抵のことではない。
しかし、経済活動を停滞させれば、物資の不足もさることながら、税収も落ち込む。
国債だって無尽蔵に発行って訳にはいかない。
そうなれば、被災地の復旧・復興はどんどん遅れていくのは、想像に難くない。
そんな大きな話でなくても、私もライフラインに関わる仕事の端の端くらいのことをしているので、とにかく原材料の確保と最大限に納期通り製品を納入することに注力している。
この当り前の通常通りの仕事が、被災地への復興に繋がると信じている。
勿論、様々な角度から支障をきたしているこの状態で、通常通りの仕事を行うことは大変な労力を要する。
でも、ここで踏ん張ることが大事なのだと思う。
色々な仕事が、色々なところで有機的に繋がりあい、経済や人々の生活が成り立っている。
どんな仕事をしていても、精一杯いつも通りに過ごすことが大切なのだと思う。
義援金も手っ取り早く被災地への方々を助ける手段であるが、もっとベーシックなところで支えていきたい。
これこそが、誰にでもできる被災地救済につながる第一歩ではないだろうか。
また、繰り返しになるが、被災地でなくてもかなりの影響が出ている。
例えば、原材料が確保できず、生産活動がままならない企業がある。
例えば、計画停電その他の影響で早く帰宅する人間が多くなっていて、居酒屋さんなどは閑古鳥だ。
売上が低いところで推移していけば、必ず立ち行かなくなる。
誰しも自分の生活が大事。
勿論、私だって自分や家族が大事。
でも、将来を考えた場合に、今どんな生活を送ることが一番良いのだろうか?
今一度考えを改めておきたい。
蛇足ながら、その昔に好きだった女の子に言われた言葉・・・
「自分が幸せでない人間に、他人の幸せを思いやれるとは思えない」
要はフラレタということだが、今のポイントはそこではない。
当時(今もだが)病弱でいつもギリギリの私は、けっこう考えさせられた。
そして、今改めてこの言葉のもつ意味を噛み締めている・・・
私は、呑みに行ったり、釣行したりするのを不謹慎とは思わない。
非常事態に陥っていない人間が、息抜きなしに頑張れると思えない。
考えが中々まとまらないまでも、やはり「普通」が一番と思う。
今この瞬間を「普通」に、ただし、これまでより一生懸命に前向きに生きていきたい。
そして、被災地の方々に早く「普通」と呼べる生活が戻らんことを切に願う。
私は、関東在住・・・
今回の地震は、他人事ではない。
かといって、震源に近かった方々、特に津波や原発の被害に遭った方々とは比べることがおかしいほど、軽度の被害しかない。
それでも生活には色々と支障をきたしている。
計画停電に物資不足、原発関連・・・
仕事で化学産業に携わっているので見えてくる様々なもの・・・
鹿島のコンビナートの壊滅的な打撃を代表とする原材料の不足・・・
原発近くでは、避難指示が出ていない地域でも、風評被害による物流の足止め、法人の従業員への配慮による自宅待機指示により、食品関係以外でも麻痺状態のところが少なくない。
直接関わっていないが、機械業界やその他の産業も同様であることが推測される。
これは日本経済全体への打撃を意味する。
既に一部報道されているように、今後は東日本に限らず日本国内全体、また海外へ及ぼす影響も小さくはない。
こうした中で考えられることは、出来得る限り通常通りの生活の維持だと、私は考える。
各々が自分の仕事・生活や生活上の役割を、今まで以上にシッカリと果たしていく・・・
色々なものが不足する中で、通常通りの生活をキープすることは並大抵のことではない。
しかし、経済活動を停滞させれば、物資の不足もさることながら、税収も落ち込む。
国債だって無尽蔵に発行って訳にはいかない。
そうなれば、被災地の復旧・復興はどんどん遅れていくのは、想像に難くない。
そんな大きな話でなくても、私もライフラインに関わる仕事の端の端くらいのことをしているので、とにかく原材料の確保と最大限に納期通り製品を納入することに注力している。
この当り前の通常通りの仕事が、被災地への復興に繋がると信じている。
勿論、様々な角度から支障をきたしているこの状態で、通常通りの仕事を行うことは大変な労力を要する。
でも、ここで踏ん張ることが大事なのだと思う。
色々な仕事が、色々なところで有機的に繋がりあい、経済や人々の生活が成り立っている。
どんな仕事をしていても、精一杯いつも通りに過ごすことが大切なのだと思う。
義援金も手っ取り早く被災地への方々を助ける手段であるが、もっとベーシックなところで支えていきたい。
これこそが、誰にでもできる被災地救済につながる第一歩ではないだろうか。
また、繰り返しになるが、被災地でなくてもかなりの影響が出ている。
例えば、原材料が確保できず、生産活動がままならない企業がある。
例えば、計画停電その他の影響で早く帰宅する人間が多くなっていて、居酒屋さんなどは閑古鳥だ。
売上が低いところで推移していけば、必ず立ち行かなくなる。
誰しも自分の生活が大事。
勿論、私だって自分や家族が大事。
でも、将来を考えた場合に、今どんな生活を送ることが一番良いのだろうか?
今一度考えを改めておきたい。
蛇足ながら、その昔に好きだった女の子に言われた言葉・・・
「自分が幸せでない人間に、他人の幸せを思いやれるとは思えない」
要はフラレタということだが、今のポイントはそこではない。
当時(今もだが)病弱でいつもギリギリの私は、けっこう考えさせられた。
そして、今改めてこの言葉のもつ意味を噛み締めている・・・
私は、呑みに行ったり、釣行したりするのを不謹慎とは思わない。
非常事態に陥っていない人間が、息抜きなしに頑張れると思えない。
考えが中々まとまらないまでも、やはり「普通」が一番と思う。
今この瞬間を「普通」に、ただし、これまでより一生懸命に前向きに生きていきたい。
そして、被災地の方々に早く「普通」と呼べる生活が戻らんことを切に願う。
タグ :震災
Posted by takaq at 12:08│Comments(0)
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